2006年12月18日

松尾鉱業 凸型電機の謎

資料の整合性が取れないというのは、廃線関係ではよくあること。岩手山の麓を走っていた松尾鉱業の凸型電機について、新たな疑問が浮かび上がりました。現在は 八幡平市松尾歴史民俗資料館 に保存展示されている松尾鉱業の凸型電機 ED251 は、廃線から保存展示までの間どのような経緯をたどったのか、今のところ二つの説が流布しています。

  1. ずっと東八幡平駅跡に保存されていた。
  2. 盛岡市内で一時保存されていた。

ずっと東八幡平駅跡に保存説

消えた轍 ローカル私鉄廃線跡探訪2 東北・関東(寺田裕一著・ネコパブリッシング・2005年)

廃止後、ED251は東八幡平駅跡での保存を経て、現在は松尾村歴史民俗資料館の屋外で展示されている。

なつかしの鉄道写真館>失われた鉄路>松尾鉱業鉄道

廃止から6年ほど経った昭和53年6月に八幡平をドライブしていたら、偶然松尾鉱業鉄道の廃車群を見つける。その場所は元の東八幡平駅構内と推定され、凸形電気機関車や無蓋貨車・客車や外された架線柱等が線路上に残されていた。

盛岡市内で一時保存説

国立科学博物館>産業技術の歴史>松尾鉱業鉄道ED251号

1969年の同鉄道の廃止後,長く盛岡市の丸久商店が保管してきたが,1993年に同商店より松尾村に寄贈された。

Website 61℃>松尾鉱業

廃止後しばらくは盛岡市内の住宅街にある廃棄物処理業者の敷地の一角に、大量のビールケースや雑多なゴミと一緒に据え置かれていました。少なくとも1973年から1988年までは、このような放置状態が続きました。

二つあった廃車体の謎

東八幡平駅跡と盛岡市内のどちらにも、松尾鉱業の凸型電機の廃車体は実在しました。

  • なつかしの鉄道写真館>1978年6月に東八幡平駅跡で撮影
  • Website 61℃>1988年3月に盛岡市内で撮影

盛岡市内に置かれた廃車体は、少なくとも1973年の時点で盛岡市内に持ち込まれていたのを私自身が実見しており、そして1988年の時点でもサイトの写真のように放置されていました。しかし、1978年前後に凸型電機が盛岡市内に置かれてあったかどうかは、残念ながら私は見ていません。

松尾鉱業の凸型電機は ED251 と僚機 ED252 の2輌が在籍していました。盛岡市内で私が見たものは、本当に ED251 だったのでしょうか。

凸型電機の社紋と形式プレートのアップ
凸型電機の社紋と形式プレートのアップ
岩手県盛岡市
1988年3月
Fujica HD-1 / Fujinon 38mm
Fuji Neopan 400 Presto

形式プレートをちゃんと撮影しないので断言はできませんが、画像を拡大して見る限りは ED251 である可能性が高いと思われます。少なくとも末尾が「2」には見えません。

東八幡平駅跡の廃車体の謎

では、東八幡平駅跡にあった凸型電機は何だったのでしょうか。

  1. ED251 を1973年に盛岡市内に運んで、1978年までに東八幡平駅跡に戻して、1988年までに再び盛岡市内に運んで、1993年に資料館に寄贈した。
  2. ED252 を置いていた。

普通に考えれば後者、すなわち「東八幡平駅跡には ED252 が保存されていた」ということになりそうですが、それならそれで謎がさらに深まります。

さらに深まる謎

  • 資料館には何故 ED251 を保存することになったのか。
  • ED252 はどこに行ったのか。
  • そもそも現地保存が2号機で、トップナンバーが廃棄物処理業者に譲渡されたのは何故か。

現地で取材するのが疑問解消への早道でしょうかね…。

posted by 141F at 03:35| Comment(0) | TrackBack(1) | rail | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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松尾鉱業 凸型電機の謎(補足)
Excerpt: 盛岡市内に置かれていた凸型電機ですが、私が最初に見た1973年頃と撮影を行った1988年とでは、敷地内での置き方が違っていたことを思い出しました。1973年頃は道路と平行に置いてあったのが、1988年..
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